emotional flutter

the tear flows because of tenderness.

演奏の終わりに - 少女たちはいかに現代社会を揶揄したか- 響け!ユーフォニアム論②

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主に二期の内容について書いていきます。ブログのアイコンになる画像の選出、悩みました。一番エモく感じた1話冒頭と最終話ラストの久美子にしました。
最高に好きなシーンです。
 
正直、ユーフォ二期は毎週毎週エモかった気がする。事あるごとに「アァッ…」とか「かっ……はっ…」とか擬音語が勝手に出まくってました。
 
なんというか、勝手に分かったつもりになって過剰反応してしまう所が感傷マゾ男の悪いところで、ある意味ビョーキなのかもしれませんが、その気持ち悪さも含めて仕方のないことなんだなぁとユーフォニアムおじさんになってから気づきました。
 
一期と比べても、更にエモく、死にたいシーンが多かった。
因みに著者は年々(社畜になってから)語彙力が無くなってきており、感情表現が乏しいです。ですから、大抵「エモい、社会、時代、分かる、死にたい、優勝」とかで文章を締めてしまいますが許してほしいです。
 
 
・コンクールとは何か?
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みぞれ
「コンクールなんて…大嫌い。」
-中3のコンクール 銀賞の後、帰宅のバスにて -
 
 
 
二期はいよいよ全国大会へ向けての物語になります。その中でも序盤のテーマになってくるのが「コンクール」です。 
彼女たちが日々向き合い、生活の一部になっている部活動の吹奏楽とは、音楽活動なんですよね。滝先生も言っていた通り、本来順位を付けて勝ち負けを決めるものではない。
音楽を聴いていて楽しい、楽器が弾けて嬉しい、とか趣味・娯楽範囲での文化的な活動というカテゴリなのが妥当でしょう。純粋に音楽が好きな人、音楽が好きな自分が好き、な人もいると思います。
 
わたしは何のために音楽をやるのか。
わたしは誰のために演奏をするのか。
 
彼女たちは無垢に訴えかけます。当然、社畜のマゾ男は自己投影させた結果
 
わたしは何のために働いているのか。
わたしは誰のために働いているのか。
(つか、社畜になって以降、何が楽しくて生きてるんだっけか?オオン?)
という懐疑に直面することが不可避になりました。
生きるために仕事をしてるのか、仕事をするために生きてるのか分からなくなる時とか、たまにあったりします。
 
話を戻します。
全国大会に行く!を目標にした彼女たちもまた、問答します。のぞみとみぞれ。久美子と麗奈。そして個人的に一番グッときたのが優子ちゃんのコンクール論でした。
 
夏休みの合宿回、いつもより違う環境において、言葉は次々と紡がれる。

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久美子
「先輩はコンクールってなんだと思いますか?」
 
優子
「まあ、納得いかないことが多いのは確かなんじゃない?
 ふざけてやってるわけじゃない、みんな夏休みを潰して練習している。
 けど、コンクールは優劣をつける。
 金・銀・銅。この曲を自由曲に選んだ時点で難しい、とか演奏以前の話を評価シートに平気で書かれたりすることさえある。
 努力が足りなかった。劣っていたということにされちゃう。超理不尽でしょ。」
 
久美子
「じゃあ、先輩はコンクールがないほうがいいって思ってるんですか?」
 
優子
「思ったこともあるよ。そりゃ。ただ、去年みたいにみんなでのんびり楽しく演奏しましょう、ていう空気がいいかというと、そんなことはなかった。
 上を目指して頑張っている一年よりもサボっている三年がコンクールに出る、みたいなのはやっぱり引っかかった。
 まあ、今年は実力主義になって、いろいろあったけど・・・。
 本気で全国目行こうと思うんだったら、うまい人が吹くべきだと思う。
 
結局、好き嫌いじゃなく、コンクールにでる以上は、金がいいってことなんじゃない?
 
 
 優子ちゃんのこのコンクール論
ああ~、社会。あぱあ~~。
と一人で過呼吸になっていました。努力しても叶わないことなんてたくさんあるんですよ。それが当たり前なんすよ。一生懸命生きてみても全く結果が伴わないことってありますよね。そしてそれは「努力が足りない。自己責任論。」になるわけなんですよね。
 
 
 
クソが。
 
 
 
と、内心中指立てる。もちろん本当に自分が至らなくて悲しい結果になることもあるけど、それ以上に無慈悲な運命とか理不尽な事象ってそこらじゅうに石ころのように転がってるから。彼女たちが好きでやっている部活動ですらそれを感じてしまうのは皮肉の極みですわ。
 
そして、コンクール論はまだまだ続く。
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 久美子
「麗奈はさあ。コンクールってどう思う?」
 
麗奈
「どうして?」
 
久美子
「なんか考え込んじゃって。」
 
麗奈
「よく・・・音楽は金、銀、銅とか、そんな簡単に評価できないって言う人がいるけ     
 ど、あれを言っていいのは勝者だけだと思う。
 下手な人が言っても、負け惜しみでしかないと思うし。
 だから結局、上手くなるしかないと思って・・・。
 それに、たくさんの人に聞いてもらえる機会ってそんなにないから。
 わたしは好き。ポジティブに捉えたいって思ってる。」
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f:id:hakanami:20170127143217j:plain 麗奈のノブレスオブリージュ。無垢な笑顔と安らかな表情の裏には・・・。
 
 
 
はい、でた〜。これが、昨今の「捻れた強さ」だ。完璧なネオリベラリズム。(極論)
こういった思想になってしまう若者が増えることは必然なんだろうな、と少しばかり複雑な気持ちになる。アイロニカルストレングス。横文字使いたいだけです。
 
もう、当たり前すぎて誰もあまり口にしなくなったように思えるけど、現代は格差社会の極み。淡泊。だからモラトリアム時代にしろ、社畜時代にしろ、なんとなく生活していても「勝ち負けの二元論」が常に傍らにあるように思える。(決断主義
麗奈はそれを敏感に感じ取っているし、特別(勝者)になろうと日々努力している。
久美子が物語の主人公として「コンクールの意味や意義」を問うことは、とても重要だと感じる。一位じゃなきゃダメなのか?勝者でなくてはいけないのか?楽しく仲良くじゃダメなのか?
嫌でも読み手側は感じ取らざるを得ない。
「特別」になるためには、過酷に立ち向かわなければならないから。
 
 
そして問答の後、彼女たちはその「理不尽」に戦いを挑み続けることを選択・決断した。
 
 
・麗奈の思想(補足)
ついでに、一話の花火大会の回で社畜の心を抉るシーンがあった。
これもまた確信的なので振り返る。あすか先輩がのぞみ先輩の部活復帰を拒んでいる理由を、久美子と麗奈がかき氷を食べながら話しているシーンだ。
 
麗奈
辞める、ってことは、逃げることだと思う。それが嫌な先輩からか、同級生からか、            それとも自分からかは分からないけれど、とにかく逃げたの。
 わたしだったら絶対逃げない。嫌ならねじ伏せればいい。それができないのに辞めたってことは、逃げたってことでしょ。」
 
久美子
「麗奈だね・・・。」
 
麗奈
「そう?普通じゃない?
 私たちは全国に行こうと思ってる。特別になる、って思ってるんだから。」
 
久美子
「全国に行ったら特別になれるのかな?」
 
麗奈「わからない。けど、それくらいできなきゃ特別にはなれない。」
 
 
 
 
いや~~~。社会。
麗奈は洗練されすぎていて、正直ビビりますね。
今この国にいる仕事を辞められない奴隷たちの心になんかやけに響け!してしまった感のあるアイロニカルバーストストリーム。
社会反映論的作品NO.1の響け!ユーフォニアムは言うことが違う。怖い。震える。
 
 
 
 
 
・The next song is called

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まず、響け!ユーフォニアム2 第5話「きせきのハーモニー」は歴史的瞬間を作りました。これは大げさな表現じゃなくて、マジで。
TVアニメーション1クールの5話目にして、約7分間、三日月の舞ノーカットフル演奏をやってのけた。
京都アニメーションの本気」は度々いろんな作品の作画で見受けられるが、ここまで鳥肌が立ったことはなかった。
何より、やばかった(語彙力)のはその7分間の内に、これまでの物語を走馬燈するような演出がちりばめられていたこと・・・。

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こういうのやめてくれ~~~~~~!(もっとやれ)
感情を吹き返したみぞれによる「のぞみの為」のオーボエソロ
その音色を信じている舞台裏ののぞみ。
 
自分の顔が気持ち悪くなっているのが鏡を見なくてもわかりました。
 
 
あと、これ。

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ぱああああああああああああああああああああーー
久美子が大苦戦していたユーフォ低音のユニゾン部分、弾けた瞬間に滝先生がわずかに笑みをこぼすところ。僅か数秒のシーンの掛け合いです。
 
 こういうところ。
ほんと、こういうとこだよ、京アニ。最高で優勝なの。
 

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 最高かよ。
7分間、本物の演奏を見ているような錯覚に陥った。
 
そして自分がゴミだってことを思い出しました。
 
俺の人生ってなんだっけ。
そう思えるくらいに眩しくて尊かった。
 
そして極め付け。

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 久美子
「先輩・・・。コンクールはまだ嫌いですか・・・?」
 
みぞれ
「たった今、好きになった。」
 
この瞬間、世界の総幸福量が一時的に肥大化したと思われた。
彼女たちが「特別」になった瞬間だった。
 
 
 
 
 
 
 
・「後悔のないようにしなさいよ」 f:id:hakanami:20170127195113j:plain
 
 しかし・・・。毎回、毎回、なんでこんなに「刺さる」のか、ユーフォは。 
あすか先輩、麻美子おねえちゃんの話は特に抉られた。
 
まず、麻美子おねえちゃん。
家族内において両親の求める役割演技をするうちに自分を見失う。久美子との温度差(姉妹間の確執)を生じさせてしまい、大学に入るも、自分の人生への疑問が爆発。両親と揉めて、久美子とも常にぶつかり会う始末。
 
抑圧社会。家庭内でもストレス貯めるって、もう逃げ場ないですよね。
両親の期待に応えるように常に「いい子」を演じてきたおねえちゃん。開き直ってラスカル顔で生きてたら思春期が終了していた、と。
 
ある意味「不器用」だったおねえちゃんの代わりに、久美子はガンガン「好き」を貫き通す。おねえちゃんが志半ばで諦めてしまった音楽の道、吹奏楽への愛を、せめて自分が消さないように、おねえちゃんとの思いでを、無くさないように。
 
家で二人で夕ご飯作ってる時の空気感、すごい好きでした。
姉妹の確執がやっとほぐれてきたかな、と思えるシーンで。
久美子、おねえちゃんのこと好きなのが隠しきれてないんですよ。
 
結局、おねえちゃんは新たな決意と共に実家を離れていきました。
親愛なる妹に「あんたもさ、後悔のないようにしなさいよ。」
という言葉を残して。

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おねえちゃんとの別れの後、通学の電車で虚無感に浸る久美子。
 
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走馬灯のように大好きなおねえちゃんとの記憶を思い返す久美子。
 

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そして、涙。

気づかない内に急に溢れ出して止まらない涙。

 

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嗚咽。

電車の中でも関係ありません。公共空間で弾けます。

これがもう、やばい。個人的にこのシーンはもはやエモいを通りこして死にたい。

失った時間はもう取り戻せない。大好きなおねえちゃんと仲良く過ごせたはずの青春時間は、もう残り少ない。

蟠りが氷解してきたころに、もうお姉ちゃんは遠い所。

時間と距離を前に、人間は圧倒的に無力(秒速5センチメートルの真理)

 

久美子は「寂しかった」と搾りだすように一人呟きます。

我慢していたのは、麻美子だけではなかった。

 

「後悔」或いは「悔恨」というもの。

 

この話数を見た次の日、僕は仕事にかろうじて行けたけど、生きた心地しなかった。

あらゆる人々への、「響け!ユーフォニアム」からのメッセージ。 

 

「後悔のないようにしなさいよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

・「自己犠牲の権化」

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最後に、やっぱりこの人。あすか先輩です。

一期から、ともかくラスボス感のある?人物だったあすか先輩。

蓋を開けてみれば、

・家庭環境に難あり(母子家庭、母親のヒステリック被害)

・大好きなユーフォを続けるために学業成績優秀者であり続ける

・自己中心的かと思えば、真逆の自己犠牲精神

・一切私情を出さず、永世中立。リーダーシップをとる。

等々、ああ・・・この人はもう・・・。ってなる感じ。

 

けっこう、「響け!ユーフォニアム」において一番救われなくてはならない人物なんじゃないかと思える。田中あすかが救われないなら俺も死ぬ。

 

全国大会出場間際、圧倒的な理不尽(母親の呪縛)によりあすかの全国大会出場にストップがかかる。

あすかをユーフォニアム奏者として崇拝する久美子は、自身の全身全霊をかけて、あすかを全国の場に連れ戻そうとする。

 

そして、最大のエモーショナル・バースト。

 

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あすか

「私がこのままフェードアウトするのがベストなの。心配しなくても、みんなすぐ私のことなんて忘れる。一致団結して本番に向かう。それが終わったら、どっちにしろ三年生は引退なんだから。」

 

久美子

だったらなんだっていうんですか!?先輩は正しいです!部のこともコンクールのことも全部正しい!でも、そんなのはどうでもいいです・・・。あすか先輩と本番に出たい・・・。私が出たいんです!」

 

あすか

「そんな子供みたいなこと言っ・・・」

 

久美子

「子供で何が悪いんです!?先輩こそなんで大人ぶるんですか?全部わかってるみたいに振舞って、自分だけが特別だと思い込んで、先輩だってただの高校生なのにっ・・・!

こんなののどこがベストなんですか・・・?先輩、お父さんに演奏聴いてもらいたいんですよね。誰よりも全国いきたいんですよね。それをどうしてなかったことにしちゃうんですか?」

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「我慢して諦めれば丸く収まるなんて、そんなのただの自己満足です!

おかしいです・・・。

待ってるって言ってるのに・・・。

諦めないでください。

後悔するってわかってる選択肢を、自分から選ばないでください・・・。」

 

 

 

 

 

精神的自殺。

この瞬間、誰かが死にました。自己犠牲=自己満足なんてことは、分かってるつもりだった。それでも、現実にはそうしなきゃいけない時ってのが多くある。

 

久美子、やっぱり「分かり手」です。勘違い系分かり手ではなく、本物の分かり手です。

 

あすかはこの後、自らの「強さ」で、全国で演奏することを実現させました。

本当の「ベスト」を尽くして、彼女の青春の幕は下ります。 

 

響け!ユーフォニアム

 

あすかの曲でもあり、黄前久美子の曲にもなった瞬間。

吹奏楽を通して

「優しさの理由をもった器用だけど不器用な人間たちが織りなした青春」

はここに完結しました。

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総評

こんなに上品な作品は最近ない。

タイトルの「現代社会を揶揄」っていうのも、ホントにこじつけ染みた所はあるけど、強ち確信的だと、著者は強く思う。

一話一話、思考停止した奴隷を必ず問答させるような仕上がり。このブログ書こうと思ったのも、戒めのためです。

人は、忘れる。すぐに忘れる。

惰性で生きたら、あっという間に老いる。思考は絶たれ、動物化する。

 

だから、変な使命感で書きました。実際最近生きるのが雑になっていたし、働いて寝てるだけ。細々と食事をし排泄をするだけのゴミクズだった。

 

家族や友人と過ごす時間だけがとても救いで、それが生きがいではあるけれど。

ユーフォは、そんな自分にガンガン琴線揺さぶりを仕掛けてくる作品でした。

 

数年後とかに、このブログ読んで

「おお、当時の生命力の欠片だ。笑」

とか思えるような記録になればいい。

 

集中力がなくて最後どうしても雑になる。泣


以上、響け!ユーフォニアム論でした。(全然論考してないけど)

次回からも、関心のあるテーマからどんどん書いていきたいと思います。